「もし、きみが、幸運にも、青年時代にパリに住んだとすれば、きみが残りの人生をどこで過ごそうとも、パリはきみについてまわる。なぜならパリは移動祝祭日だからだ。」
・・・・・ヘミングウェイ『移動祝祭日』より
ヘミングウェイの1920年代のパリ生活の回想録が、『移動祝祭日』として死後出版されました。移動祝祭日とは、年によって日付が変動する祝日のことで、パリの日々は彼にとって祝祭日のようなときめきに満ちていたにちがいありません。
この時代のパリと言えば、シャガール、パスキン、キスリング、スーティン、藤田嗣治らを代表とするエコール・ド・パリの画家たちが活躍し、モンパルナスのヴァヴァン交差点は世界の交差点と呼ばれ、国際文化都市として煌めいていました。そしてまた第一次世界大戦中にチューリッヒで誕生したダダの運動がパリに飛び火し、多くの確執を経た後、1924年にシュルレアリスムが誕生しました。マン・レイ、ミロ、ダリ、エルンストらは前衛としてこの新しい美術を推進、展開しました。
また1900年代にフォーヴィスム、キュビスムの画家として既に活躍し名声を得ていたルオー、ヴラマンクドラン、ピカソ、ブラックらは、20年代に入っても相変わらず美術の第一線で活躍していました。こうして新旧のすばらしい画家たちがパリの同じ空気を呼吸し、闊歩していました。さらにディアギレフ率いるバレエ・リュスは、舞台美術をフランスの画家たちに依頼し、ピカソ、ミロら新旧の画家たちがこぞって協力しました。
「パリは誰のものでもない、君が望むなら、君のもの。君に贈ろうパリを」とシャンソンにありますが、本展は、「移動祝祭日」として煌めき熱気溢れるパリを贈物として鑑賞者の皆様に捧げるものです。
・・・中村隆夫(多摩美術大学教授)